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遅ればせながら明けましておめでとうございます!

2026年の始まりにあたって


2026年が始まり、気がつけばすでに二週間が経過しました。年末のジルヴェスターコンサートが非常に充実したものであったこともあり、正月気分が抜けきらないまま新年を迎えた感覚もありましたが、いざ動き出してみると、やはり立ち止まる暇はありません。


1月6日から学校が始まり、9日から11日は山梨県でのリサイタル収録、12日は枚方で映像収録、15日には主催コンサートと、年明け早々に自分の仕事の全領域が一気に稼働し始めました。教育、演奏、制作、発信と、日常的に関わっているすべての要素が同時進行で走り出すこの感覚は、毎年のこととはいえ、身の引き締まる思いがします。


年始に増える相談と、振り返りの動機


年が変わるこの時期になると、卒業を控えた学生さんや、これから本格的に活動を始めようとするアーティストの方々から、ご連絡やご相談をいただく機会が年々増えてきました。演奏機会の創出に関する具体的な依頼から、今後どのような方向性で活動していくべきかという漠然とした相談まで、その内容はさまざまです。


2026年は、自分自身のプロジェクトの多様性が、これまでと比べても明らかに高まっています。ここまで活動を継続し、広げてこられたのは、多くの方々に長年支えていただいた結果に他なりません。その感謝の気持ちと同時に、初心を忘れないため、そして誰かにとっての小さなヒントになることを密かに期待しつつ、これまでの歩みを一度整理して言葉にしてみようと思いました。


帰国後の現実と、芸術活動の厳しさ


2018年に完全帰国して以降、地道に活動を続けてきましたが、芸術活動の道が決して平坦ではないことは、当時から痛感していました。今もなお、その厳しさに大きな変化はありません。


「音大」という進路そのものは、一定のスキルを身につけてしまえば、入学や卒業自体はそれほど難しく感じない人も多いと思います。私自身も、振り返ればそう感じる部分があります。しかし、そこから先、この分野で生きていくとなると話はまったく別です。2018年に初めて確定申告に行った際は、制度に関する知識も皆無で、年収も雀の涙ほど。実際には収入が低すぎて申告対象にすらならない水準からのスタートでした。途方に暮れる、という表現がこれ以上なく当てはまる状況だったと思います。


資金のない時代と、コロナ禍という転機


口座も財布も空っぽ、という状況は決して珍しいものではありませんでした。その一方で、失うものがない状態だったからこそ、コンサート制作にも過度に怯えることなく挑戦できた面もあったように思います。2年ほど粘り続け、ようやく少し光が見えてきたか、というタイミングで突入したのがコロナ禍でした。


先の見えない状況の中、すでに予約が集まっていたコンサートが次々と中止になり、言葉通り困り果てました。そんな中で、行政によるさまざまな支援策が打ち出され、文化芸術分野では空前の助成金・補助金ラッシュとも言える時期が訪れます。


INUI MUSIC SALONの発足と、補助金から得たもの


特に文化庁の補助金は、「団体」を組織していることが前提条件となっていました。その流れの中で、2021年にINUI MUSIC SALONが正式に発足しました。


一般的に補助金申請は、申請段階で不備があれば即不採択となるケースも多く、どこが問題だったのかを振り返ること自体が難しいという側面があります。しかし当時の補助金制度では、厳しさはあるものの、差し戻しによる訂正が非常に細かく行われました。その過程を通して、税金を原資とする行政が何を重視し、どのような書類や考え方を求めているのかを、実感を伴って学ぶことができたと思います。


金銭的な支援として助けられたことはもちろんですが、それ以上に、この時期に得られた経験値そのものが大きな財産になりました。


コロナ禍明けを見据えた準備


補助金に依存した活動は一時的なものだと考え、得られた収入の多くは「コロナ禍明け」に通用するための準備に充てました。公演の作り方、広報の考え方、広告をどこにどのように出すべきかといった点まで、試行錯誤を繰り返しました。結果として、失敗や無駄も多く経験しましたが、その分、一定の手応えや指針を得ることができたと感じています。


教育現場との出会いと視野の拡張


2023年からは、大阪こども専門学校で非常勤講師を務めることになりました。帰国後5年目にして、ようやく「職業」と呼べるものに明確に従事するようになった、という感覚があります。ピアノレッスンの経験はありましたが、人生で初めての授業担当、しかも科目はリトミック。一定の知識はあったとはいえ、ほぼ門外漢とも言える分野に踏み込むことには、正直なところ相当な勇気が必要でした。


これまであまり関わることのなかった世代とのコミュニケーション、新しいジャンルのインプットとアウトプットには大きな苦労が伴いました。しかしその分、ここで得られたものも非常に大きく、「社会と音楽」をどのようにつないでいくかという問いに対する、重要なヒントを見つけることができたと感じています。クラシック音楽という比較的ニッチなジャンルと、幼児教育という分野は、実は相性が良いのではないか——そう実感できた経験でもありました。


音楽で生きる、という選択の再定義


仕事として音楽を考えるとき、「努力の量(労働時間)」と「評価(収入)」が比例しにくい世界であることは、多くの人が感じていると思います。成果らしい成果にたどり着く前に、諦めてしまうケースが多いのも無理はありません。その背景には、社会構造、業界の歴史、個々の能力やスター性、芸術と一般社会との距離など、複合的な要因が存在しています。


私は活動を続けるにあたり、「音楽に生涯携わること」を第一の目標に据え、「生活の糧をすべて音楽から得ること」を、自分の中で一度切り離しました。その結果として、演奏以外の仕事を多く並行する現在のスタイルに行き着いています。


世代を越えた関わりがもたらしたもの


現在、プライベートレッスンでは2歳半からシニア世代まで、演奏活動では主に同世代、学校教育の現場では同僚は同世代から少し上、学生は10代後半、そしてコンサートに来場されるお客様は50代から80代が中心と、気がつけば生活の中でほぼすべての世代と関わる環境が形成されていました。


クラシック音楽というニッチな分野を軸にしながらも、多様な人との関わりを通して、視野は確実に広がってきたように思います。「自分が何をしているか」を見せるのではなく、「自分が関わっている大切なものの魅力をどう伝え、どう連携させていくか」という問いが、今の活動の中心にあります。


主催公演というライフワーク


演奏活動がライフワークとなった現在、コンサートを開催するには当然ながら一定の資金が必要です。現在は、茨木市・高槻市・箕面市・枚方市・西宮市の公共ホールを中心に、年間およそ50公演を主催しています。制作から広報、演奏、当日の運営まで、可能な限り内製化することでコストを抑えていますが、それでもチラシの印刷費だけで年間60〜80万円程度はかかります。


「どうやったらそんなことが可能なのか」とよく聞かれますが、やっていること自体は極めてシンプルです。私生活で可能な限りお金を使わず、仕事のための軍資金に回す。それだけです。服の多くは家族や知人のお下がり、靴は8年以上使用、テレビやストーブは持たず、酒やタバコも嗜まない。遊びや不要な外食も極力控える。こうした生活を続けていれば、コンサートを生業とすることは決して不可能ではありません。


同じことを他人に求めるつもりはありませんが、現在一緒に仕事をしているメンバーは、ベクトルこそ違えど、それぞれの分野で近い意識を持っています。ある意味では狂気的とも言えるかもしれませんが、だからこそエネルギーに満ち、非常に面白い現場が生まれていると感じています。



 
 
 

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