S.プロコフィエフ「シンデレラ」まとめ。原曲と、2台ピアノ編(プレトニョフ)まで。
プロコフィエフのバレエ《シンデレラ》全曲解説 物語と50曲の主題・和声・聴きどころ
プロコフィエフの《シンデレラ》には、幸福な結末へ向かうおとぎ話の音楽から想像する以上に、冷たい響き、落ち着かないワルツ、鋭い笑いがある。それでも最後に残るのは、主人公が自分の心を失わず、誰かと気持ちを通わせるまでの、長い歌である。
この作品を理解する入口は、出来事の順番を覚えることだけではない。同じような旋律が、誰の音色で、どの低音の上に、どれほど自由な時間を与えられて戻るのか。その変化を聴くと、家の中の孤独、宮廷の華やかさ、魔法の時間制限、再会の喜びが、一つの音楽のドラマとしてつながってくる。
本稿では、全3幕50曲からなる原バレエ《シンデレラ》作品87を順にたどり、物語、人物の主題、和声、拍子、管弦楽法、演奏に結びつく聴き方を解説する。初めて聴く人は物語と各曲の解説から、演奏や分析を学ぶ人は主題と和声の章から読んでもよい。
ここでいう「原曲」は、通常の全曲総譜に収められた管弦楽のバレエ音楽を指す。個々の舞台上演では省略や曲順の変更があり、作曲時の草稿、1945年の初演、後年の振付をすべて同一視することはできない。曲名の日本語訳にも揺れがあるため、以下では第1曲から第50曲までの番号を共通の目印にする。調性は、その曲の全音符を一つの音階に押し込めるためではなく、主要な足場と、その足場から離れる動きを説明するために用いる。

## どんな作品か
《シンデレラ》作品87は、シャルル・ペローの物語に基づくニコライ・ヴォルコフの台本によるバレエで、1940年から1944年にかけて作曲された。世界初演は1945年11月21日、モスクワのボリショイ劇場。振付はロスチスラフ・ザハロフ、指揮はユーリ・ファイエル、初演のシンデレラはオリガ・レペシンスカヤ、王子はミハイル・ガボヴィチだった。ガリーナ・ウラノワもこの作品の重要な踊り手だが、初演日の配役と、その後の著名な上演者は分けておきたい。[出版社の作品目録、115–117頁](https://www.boosey.com/downloads/prokofjew_werkverzeichnis.pdf)
物語の骨格は親しみやすい。家で冷遇されるシンデレラが、困っている老女に親切にする。老女は妖精であり、主人公は魔法の助けを得て舞踏会へ行く。王子と心を通わせるものの、真夜中に魔法が切れるため逃げ去り、靴を残す。王子は彼女を探し、ついに再会する。
ただし、この筋書きのどこを強調するかは振付で変わる。母の死を明示する導入、父の性格、義理の姉妹の演じ方、妖精の姿、再会後の舞台設定などは、すべての上演に共通する固定的な事実ではない。映画で覚えた動物たちの活躍や、別の作曲家によるオペラの設定を、プロコフィエフの総譜にそのまま当てはめないことが、最初の整理になる。
音楽だけの長さについて、出版社の作品ページは100分を掲げている。実際の長さはテンポやカットによって変わり、劇場の休憩込み上演時間とも別である。組曲の録音を聴いて「この場面がない」と感じたときは、全曲版か、抜粋かをまず確認するとよい。[Boosey & Hawkes 作品情報](https://www.boosey.com/cr/music/Serge-Prokofieff-Cinderella/2479)
## 戦争の時代に書かれたおとぎ話
### 1940年代のプロコフィエフ
この作品は、《ロメオとジュリエット》がソ連の舞台で成功を収めた流れのなかで、キーロフ劇場から求められた新しいバレエだった。作曲は独ソ戦によって中断され、1943年に再開、翌1944年に完成する。予定されていた劇場と実際の初演劇場が異なる点にも、戦時下の劇場活動の事情が表れている。キーロフ劇場では1946年4月8日に、コンスタンチン・セルゲーエフによる別の振付で上演された。[マリインスキー劇場による作品解説](https://prim.mariinsky.ru/en/playbill/playbill/2016/7/31/1_2100/)
同じ時期のプロコフィエフには、オペラ《戦争と平和》、ピアノ・ソナタ第6番から第8番、交響曲第5番などがある。したがって《シンデレラ》は、作曲家が若い前衛性を捨てて無邪気なおとぎ話へ戻った作品、と単純には位置づけられない。強烈な運動、打楽器的な鋭さ、長い抒情、古典的な形式への関心が、戦時期のほかの大作と並行して働いている。
《シンデレラ》では、厳しい時代に幸福を夢見るという行為そのものが、聴き手に重く響きうる。ただし、「戦争中に書かれた」ことと「個々の和音が特定の戦争場面を表す」ことは別である。時計の音をただちに空襲警報と同一視したり、義理の姉妹を特定の政治家の肖像と断定したりする根拠はない。歴史的な背景は作品の受け止め方を豊かにするが、総譜の細部に一対一の暗号を割り当てるものではない。
### ソ連の舞台と物語の読み替え
音楽学者サイモン・モリソンは、初演をめぐる資料に基づき、逆境を乗り越える主人公の物語が、戦後ソ連の国家的な自己像とも結びつけられたことを論じている。また、ザハロフの劇的な演出方針と上演準備のなかで、音楽にも変更が生じたと指摘する。この研究から見えてくるのは、完成作品が、作曲家一人の自由な構想だけで舞台化されたのではないということである。[Morrison 2017、9–10頁](https://imti.sias.ru/upload/iblock/1e2/imti_2017_16_1_20_morrison1.pdf)
当時のソ連のドラマティック・バレエでは、踊りの技巧だけでなく、人物の行為や物語の意味を明確に示すことが重視された。《シンデレラ》はその要請を受け止めながら、言葉に置き換えきれない夢の感触も持っている。舞台上では小さな身振りに見える瞬間に、オーケストラが長い感情の線を与える。その、行為と内面の距離がこの音楽の魅力である。
社会的な観点から聴くなら、衣服、踊りの作法、宮廷への入場資格が人物の扱われ方を変える点も見逃せない。シンデレラは外見を変えて宮廷へ入るが、聴き手は、華やかな衣装の前から彼女の歌を知っている。音楽は、社会がまだ見つけていない人間の価値を、先に聴衆へ知らせている、と読むことができる。
### チャイコフスキーの伝統と20世紀の響き
四季の妖精、性格的な小舞曲、独舞、二人の踊り、大きなワルツという構成は、古典バレエの伝統を意識したものだ。作曲者自身も、古い古典バレエの伝統のなかで、踊りが物語に織り込まれる作品を目指したと説明している。[作曲者の説明を紹介するChandos解説冊子](https://www.chandos.net/chanimages/Booklets/CH10077.pdf)
しかし、伝統を踏まえることと、19世紀の音楽を再現することは同じではない。優雅な旋律の下で低音が半音ずれ、三拍子の踊りに硬いアクセントが入り、華麗な楽器の上に暗い響きが重なる。よく知っている舞曲の輪郭があるからこそ、その輪郭を少し曲げるだけで、滑稽さや不安が強く聞こえる。
《ロメオとジュリエット》との違いは、悲劇と喜劇という結末だけにない。《シンデレラ》では、古い舞曲の作法、魔法を支える細かな音色、宮廷の儀礼、主人公の私的な歌が、より細かい単位で切り替わる。短い曲の集合でありながら、大きな時間の弧を失わないところに、このバレエの作曲上の難しさと達成がある。
## 三つの幕で何が変わるのか
第1幕の中心は、「まだ他人には見えていないシンデレラ」である。家族の騒々しい音楽に挟まれながら、主人公の内面が少しずつ明らかになる。妖精の助けによって外の世界へ出る道が開くが、その時点で時計の警告も与えられる。幸福の可能性と、その制限が同時に用意される。
第2幕は、「人々の目の前に現れるシンデレラ」である。宮廷の集団舞踊が、主人公の登場以前の社会を描く。シンデレラの到着は、そのすでに動いている秩序のなかへ、別の価値と時間を持ち込む出来事となる。大きなワルツ、二人の独舞、アダージョを通して、集団の舞踏会から二人の感情へ焦点が移る。その感情がもっとも充実したところで、真夜中が割り込む。
第3幕は、「姿が変わっても同じ人を見つけられるか」という幕である。王子の移動と探索に対し、シンデレラは家で目覚める。外の世界を走る音楽と、家の中で記憶を確かめる音楽が対照をなす。靴による確認は物語の仕掛けだが、音楽的な再会は、聴き覚えた感情を改めて聴き取ることによって成立する。
三幕を通じた変化は、貧しい家から宮殿への移動だけではない。主人公の歌が、家族に遮られる私的なものから、他者と共有されるものへ変わる。そして終幕では、公衆のための華やかさよりも、二人の感情を持続させる時間が前面に出てくる。
## 主題を聴き分ける
### シンデレラは一つの旋律だけでは描かれない
作曲者はシンデレラを、冷遇される姿、純粋で思索的な内面、恋する姿という複数の面から描いたと説明している。この三つを知っておくと、暗い音楽も明るい音楽も同じ主人公に属していることが理解しやすくなる。[作曲者の発言を紹介するPittsburgh Ballet Theatreの教育資料、12頁](https://www.pbt.org/wp-content/uploads/2016/10/Cinderella-Audience-Guide-2013-FINAL.pdf)
ただし、三つの面を三本の固定した旋律だけに置き換え、全曲の音を分類しようとすると無理が生じる。主題には別の形、短い断片、似た輪郭を持つ関連旋律があり、伴奏や調性が変わることもある。「人物の名前が付いた旋律」という理解から一歩進み、人物の状態を変えながら保つ仕組みとして主題を聴きたい。
冷遇される姿では、短調の足場、上へ伸びようとして戻る線、旋律のなかの半音や広い音程が、落ち着かなさをつくる。第1曲の序奏と、第3曲《シンデレラ》の冒頭は、関連する嘆きの身振りを持つが、前者のホ短調と後者のト短調を混同してはいけない。同じ人物の表現が、同じ調でしか現れないわけではない。
思索的な面では、短い身振りの応酬よりも、歌としてまとまる旋律と、帰着を感じられる楽句が重要になる。第3曲には、ハ長調を足場とする穏やかな部分が繰り返し現れる。ここでは、現実の生活よりも、心のなかの夢のほうに秩序があるように聴ける。
恋に向かう面では、音域、身振り、伴奏の活動性が広がる。まだ王子と会っていない場面にも、後の感情の可能性を先に聴かせる音楽がある。物語の現在より先へ音楽が進むため、主題は単なる場面のラベルではなく、未来の予感にもなる。
### 義理の姉妹の音楽
義理の姉妹の場面では、短い音型、急なアクセント、音域の跳躍、楽器間の素早い受け渡しが目立つ。音楽が相手の発言に割り込むように動き、落ち着いて一つの歌を育てる時間が少ない。ここに主人公との対照がある。
滑稽さの仕組みは、単純な「不協和音だから醜い」という説明より複雑である。旋律そのものは覚えやすくても、伴奏の重さやアクセントの位置が身体の不器用さを感じさせることがある。同じ素材が、家の中、宮廷、翌朝で違う文脈に置かれれば、自己主張の強さがさらに露出する。
演奏では、何もかも荒く大きくすると人物の輪郭が曖昧になる。短い動機の発音、休符、相手の句へかぶさるタイミングこそが、性格をつくる。笑いは、輪郭の精密さから生まれる。
### 妖精と時計は何を担うか
妖精の音楽は、場面を美しく飾るだけではない。老女として現れる段階と、魔法を与える段階をつなぎ、外見と本質が一致しないという物語の問題を、主人公に先立って示している。四季の妖精たちは、それぞれ異なる速度、音色、身振りを持つ。魔法の世界にも一つではない時間がある。
時計は、その多様な時間を切断する。繰り返し、刻み、硬い音色によって、人物の気持ちに合わせて伸び縮みしない時間を示す。第18曲の警告を知って聴くと、第38曲の真夜中は突然の効果音ではなく、すでに与えられていた条件の実現になる。
ここでの対立は、旋律と雑音という単純なものではない。時計にも音程と組織があり、恋の音楽にも規則的な伴奏がある。違いは、反復が人間の呼吸を支えているのか、人間の呼吸を無視して迫ってくるのか、という関係にある。
## 和声を読むための基礎
### トニックとドミナントとサブドミナント
トニックは、調の中心を支え、落ち着く場所をつくる機能である。ドミナントは、その中心への帰着を強く要求する。サブドミナントは、中心から外へ開き、別の領域を経由して帰る準備をつくる。ハ長調の基本例なら、Cがトニック、GまたはG7がドミナント、Fがサブドミナントになる。
ただし、これは役割の説明であり、すべての同時発音を三つの箱へ仕分ける規則ではない。旋律が一時的に和音の外へ出ることも、低音が同じ音を保ったまま上の響きだけ変わることもある。《シンデレラ》では、こうした声部ごとの動きが、和音名を増やすこと以上に重要になる。
属和音が現れたら、その直後に主和音が来るかだけでなく、帰着がどれほど確かに聞こえるかを聴きたい。主和音が弱拍に置かれる、旋律が主音以外で止まる、低音がすぐ動く、別の声部が次の句を始める。こうした条件によって、同じ種類の和音進行でも、安心、ためらい、先送りが生まれる。
演奏のためには、和音名と同時に「まだ続く」「いったん休む」「ここで確かに着く」という楽句の状態を把握するとよい。難しい和音の名前を正しく言えても、途中の到着を最終到着のように弾いてしまえば、長い歌は切れてしまう。
### 普通の属七和音から少し外れる
ハ長調でG7からCへ進む場合、属七和音のファがミへ下がり、シがドへ上がる動きが、帰着を強く支える。プロコフィエフは、この期待の一部を変えても、低音の動きや旋律の方向によって終止らしさを残せる。
具体例が第3曲のハ長調の主題にある。Carolyn Zoe Brouthersの分析は、第22–23小節付近の終止で、通常なら属七和音の第7音となるファがファのシャープへ上がり、属和音が長七の響きに変えられていることを指摘する。Gを根音とする響きからCへ向かう骨格があっても、標準的なG7と同じ声部進行にはならない。ここでは機能が消えるというより、機能を感じさせる条件の一部が作り替えられる。[Brouthers 2011、50–51頁](https://etd.ohiolink.edu/acprod/odb_etd/ws/send_file/send?accession=bgsu1308069446&disposition=inline)
このような箇所を、単に「間違った音を足した和音」と呼ぶだけでは、聴こえ方を説明しきれない。どの音が、どちらへ動くために変えられたのかを見る必要がある。演奏者は、臨時記号の音を奇抜さだけで強調せず、次の音へのつながりのなかで扱いたい。音の尖りを残しながら、線は滑らかに進むという両立が可能である。
### 半音のずれと三度の関係
隣り合う半音の調や和音は、近い鍵盤にありながら、響きの景色を大きく変える。《シンデレラ》では、この近さと遠さが同時に感じられる。低音の足場が保たれているのに、一つの声部だけが隣の音へ移る場合と、和声の土台ごと移る場合では、同じ半音でも意味が異なる。
三度で隔たった長調の関係にも注目したい。たとえばハ長調とホ長調は、平行調でも属調でもない。和音を最小限の形で比べると、Cの構成音ド・ミ・ソと、Eのミ・ソのシャープ・シは、ミを共有する。そのうえで、ソとソのシャープ、ドとシが半音でつながる。調としては離れていても、各声部の移動は小さくできる。
この比較は、二つの調の関係を耳で理解するための還元例であり、作品中のすべての転調がこの三声だけで行われるという意味ではない。大切なのは、遠い響きへ移ったときに、何が共通音として残り、何がわずかに動いたのかを聴くことである。魔法のような場面転換が、実際には細い糸でつながっていることがわかる。
### 保続音と旋法
低音が長く同じ音を保つ保続音は、和声が動いても中心を失わせない働きをする。上の和音だけを見て次々に調を変えたと解釈する前に、低音が動いているかを確認したい。第3曲冒頭のト音の足場は、この考え方を学ぶよい例になる。
また、長調と短調の二択だけで捉えにくい旋律もある。中心音は明確でも、第4音が高くなったり、第7音が低くなったりすれば、通常の長音階とは違う色が生まれる。こうした音をすぐ転調と判断せず、同じ中心の上の旋法的な変化として聴く余地を持つと、妖精や異国的な場面の音楽を理解しやすい。
もっとも、シャープが一つあるだけでリディア旋法、長三和音が重なっただけで複調、と即断するのは早い。短い経過音、装飾音、一時的な和声の変化かもしれない。ある音が繰り返し支えられるか、楽句の到着点に置かれるかまで見て、判断する必要がある。
### この作品全体に一つの主調はあるのか
序奏がホ短調で始まり、最後がハ長調へ落ち着くことは、大きな聴覚上の対照になる。しかし、これを一楽章のソナタのように「全曲の主調は何調か」という一問に還元すると、三幕の多様な調性が見えなくなる。
第1曲のホ短調、第3曲冒頭のト短調、同曲の穏やかなハ長調、第19曲のト短調を足場とするワルツ、第30曲のホ音を中心とする長短の交錯、第36曲のハ長調、第49曲の変ニ長調、第50曲のホ長調からハ長調への広がり。それぞれの調性には、その場面での役割がある。これらをつなぐのは、単一の和音進行だけでなく、主題の記憶、拍の性格、楽器の音色である。
ハ長調が主人公の夢、王子、二人のアダージョ、終幕にかかわることから、ここに作品の感情的な結び目を聴くことはできる。ただし「ハ長調は常に善、他の調は悪」といった規則ではない。調の意味は、前後の文脈と、そこへ戻るまでの経験によって生まれる。
### 主要な調性を鍵盤で確かめる
分析を実際の音へ結びつけるには、各調の基本的な三つの機能を、簡単な和音で弾き比べるとよい。以下に挙げるのは、確認できる調性を理解するための基本和音であり、各曲がその三和音だけで進むという意味でも、実際の全小節の和音進行を示すものでもない。
序奏のホ短調なら、トニックのEmはミ・ソ・シ、サブドミナントのAmはラ・ド・ミ、ドミナントのB7はシ・レのシャープ・ファのシャープ・ラとなる。ミを中心とする暗さと、レのシャープがミへ向かう力をまず耳で確認する。その後に総譜の旋律を重ねると、調を支える音と、その枠を広げる半音の違いを聴きやすくなる。
第3曲冒頭のト短調、第19曲の出発のワルツでは、Gm、Cm、D7を基本の比較対象にできる。Gmのソ・シのフラット・レに対し、D7のレ・ファのシャープ・ラ・ドは、ファのシャープからソへの半音の力を持つ。ただし、第3曲冒頭はト音の保続が重要なので、耳の上では、属和音から主和音への移動より、同じ足場に留まったまま嘆く力が前面に出る。調が同じでも、和声の動かし方は同じではない。
春の妖精のホ長調なら、トニックはEのミ・ソのシャープ・シ、サブドミナントはAのラ・ドのシャープ・ミ、ドミナントはB7である。序奏のホ短調と属七和音を共有しながら、主和音の第3音がソからソのシャープへ変わる。この比較だけでも、同じミの足場に、異なる明るさが生まれることを確かめられる。第30曲の長短の近接を聴くための準備にもなる。
第36曲のハ長調では、C、F、G7が基本となる。FからCへの移動は、G7からCほど強く引っ張るとは限らず、外へ開いた響きが中心へ収まる感触をつくれる。実際のアダージョにあるヘ長調の領域を聴くときには、その柔らかな広がりと、楽句の終止の強さを別々に確認したい。
第49曲の変ニ長調では、トニックのD♭はレのフラット・ファ・ラのフラット、サブドミナントのG♭はソのフラット・シのフラット・レのフラット、ドミナントのA♭7はラのフラット・ド・ミのフラット・ソのフラットである。鍵盤上でこの足場を覚えておくと、総譜に臨時記号が増えても、どこへ帰ろうとしているかを探しやすい。旋律を中声に置いたまま低音と合わせる練習は、この曲の歌を見つける助けになる。
第50曲では、ホ長調のEをトニックと感じる耳から、ハ長調のCをトニックと感じる耳へ切り替える。同じミの音は、ホ長調では主音、ハ長調では第3音になる。共通音が残っていても、その意味が変わる点が重要だ。演奏では、同じ鍵盤を同じ意味の音として扱わず、周囲の低音と和声によって、どこに落ち着く音かを聴き直したい。
## リズムと音色が人物をつくる
### 三拍子のなかにも異なる時間がある
ワルツの三拍子を、毎小節同じ「強・弱・弱」とだけ捉えると、この作品の表情は平らになる。低音の着地、旋律の跳躍、弱拍に置かれた響き、数小節をまたぐ大きな線が、それぞれ別の方向へ身体を引くからである。
第19曲の出発のワルツは、まだ実現していない幸福へ向かう推進力を持つ。第30曲の大ワルツでは、その推進力が公衆の場の大きさや不安と重なる。第49曲の遅いワルツでは、三拍子が親密な呼吸へ変わる。同じ種類の踊りを繰り返すことで、人物の経験の違いが浮かび上がる。
複合拍子も重要だ。6拍子ならすべてを六つの同じ小拍で刻むのではなく、二つの大きな拍のなかに三つずつの細分があると感じる。9拍子なら三つの大きな拍がある。第36曲の9拍子と6拍子の切り替えは、細かな音の数より、大きな呼吸の単位が変わることを聴くと理解しやすい。
### オーケストラの役割
木管は、軽い装飾だけを担当するわけではない。クラリネットやファゴットは、主人公の内面や、低い位置から始まる抒情を担う。高い木管は、四季の妖精の素早い身振りにも、時計の場面の落ち着かない明るさにも使われる。同じ高音でも、光にも警告にもなりうる。
弦楽器も、一枚の滑らかな背景ではない。独立した旋律、持続音、細かな反復、ピッツィカートが同時に組み合わされる。第49曲冒頭のように、上声が長く伸び、その下のヴィオラが歌い始めることもある。旋律を追う耳は、音の高さではなく、言葉を話すような動きに向ける必要がある。
金管は、宮廷の輪郭、姉妹の大げさな身振り、警告の重みなど、場面ごとに異なる機能を持つ。低い金管が聞こえたらすべて威圧、と決めず、旋律なのか、低音の支えなのか、短い割り込みなのかを聴き分けるとよい。
ハープ、ピアノ、鍵盤打楽器などの発音の違いも、魔法の質感をつくる。短く輪郭の立つ発音と、弦の長い持続が重なることで、動いているのに止まっているような響きが生まれる。終結ではチェレスタの小さな動きが、厚い終止を避けた余韻を与える。編成の細かな人数や持ち替えは版によって確認を要するが、こうした音色の役割は総譜から追える。[全曲総譜の掲載ページ](https://imslp.org/wiki/Cinderella,_Op.87_(Prokofiev,_Sergey))
## 第1幕 全19曲を聴く
第1幕は、家族の場面と主人公の内面を交互に置いたのち、妖精たちの世界へ移る。舞踏会への出発が幕の到着点だが、そこへ至るまでに、主人公の性格と、魔法の条件が丁寧に準備される。以下の曲番号と音楽の記述は、全曲版総譜の第1幕に基づく。[第1幕総譜](https://imslp.eu/files/imglnks/euimg/e/eb/IMSLP130448-PMLP253958-Prokofiev_-_Cinderella_-_Act_I.pdf)
### 第1曲 序奏
Andante dolce。ホ短調の暗い足場から、長い歌が立ち上がる。華やかな開幕を期待すると、まず内面を見せられることになる。主人公が社会のなかでどう扱われるかを見せる前に、その人が感じていることを音楽が先に示す。
冒頭では、クラリネット、弦、ホルンなどの音が重なり、一人の独奏だけを聴けば全体がわかるようには書かれていない。低音の持続と旋律の半音の動きの関係を聴きたい。旋律が切実でも、低音はすぐにその願いへ応えて移動するわけではない。その距離が嘆きの深さになる。
やがて抒情的な広がりが現れ、作品が暗い境遇だけに閉じないことが示される。序奏は細かな物語の要約というより、これから描かれる感情の幅を聴かせるものとして捉えたい。演奏では、最初から最大の悲劇性を押し出さず、後に明るく開く余地を残す。dolceの柔らかさと短調の重さは両立する。
### 第2曲 ショールの踊り
Allegrettoから始まり、複数の速度と性格へ移る。ショールをめぐる義理の姉妹のやり取りが、装いの誇示から争いへ変わる場面である。曲名の穏やかな「踊り」だけでは、この長い場面の対立や割り込みを捉えきれない。
主題の短い単位、半音のずれ、突然のアクセント、伴奏の重みを聴く。音楽は一つの気分を保たず、発言、応酬、妨害を繰り返す。和声だけに人物の意味を負わせるより、誰が句を始め、誰が途中で切るかを見ると、芝居が明確になる。
演奏では、テンポが変わるたびに無関係な小品を始めるのではなく、争いが段階的に変質していく流れを保つ。後に《争い》という題で聴かれる抜粋や編曲は、別場面の同系素材を組み合わせる場合もあるため、この第2曲と全区間が一致するとは限らない。
### 第3曲 シンデレラ
Andante dolce。主人公の複数の面を集中的に聴ける、分析上の要となる曲である。冒頭はト短調の足場を持ち、序奏のホ短調とは調が異なる。長い低音の上で旋律が嘆くため、和声が一つずつ進む通常の歌とは違う停滞感がある。
続く穏やかな部分はハ長調を中心とし、こちらは楽句のまとまりや終止によって安定を感じさせる。その間に、より活動的な身振りが差し挟まれる。最初の暗い部分をA、穏やかな部分をB、活動的な部分をCと考えるなら、全体はおおむねA・B・C・B・C・Bと理解できる。Bへ繰り返し帰ることが、心の拠り所のように聞こえる。
この読み方はBrouthersの詳しい分析とも重なる。ただし、その形式から「主人公は必ずこの瞬間にこの言葉を考えている」とまで決める必要はない。確かなのは、冒頭の暗い状態が同じ形で全面的に戻るのではなく、穏やかな歌が繰り返し構造の中心を占めることである。[Brouthers 2011、第3章](https://etd.ohiolink.edu/acprod/odb_etd/ws/send_file/send?accession=bgsu1308069446&disposition=inline)
旋律は木管と弦のあいだを移動する。高い装飾に耳を取られたときは、次の長音へ向かう線を探すとよい。演奏では、Bの帰還をすべて同じ音量で再現せず、間に何を経験したかによって、安堵や切実さの度合いを変えたい。
### 第4曲 父
Andantinoと、やや劇的なAndanteが組み合わされる。父と娘の関係に、家族の緊張が入り込む場面である。父の人物像は振付によって異なるが、音楽では柔らかい身振りだけが続かず、落ち着かない動きが食い込む。
聴きどころは、歌いかけと、その歌を続けさせない力の対照にある。旋律の主体と、周囲で動く短い音型を分けて聴く。家の中で主人公の感情が十分な時間を与えられない、という第1幕前半の問題がここでも続く。演奏では、抒情的な部分を甘く引き延ばすだけでなく、割り込みが起こる位置を明確にする。
### 第5曲 物乞いに姿を変えた妖精
Adagio。妖精は、最初から華麗な姿で登場するのではない。助けを必要とするように見える存在への対応が、主人公の性格を示す。後の変身が、単なる偶然の幸運ではなく、ここでの振る舞いとつながる。
動きの細かな背景と、ゆっくりした線を同時に聴く。速い音符が多いからといって、音楽全体が急いでいるわけではない。遅い旋律の呼吸が前面に残ることが大切だ。和声は響きの色を変えながら場を保つため、表面の変化をすべて独立した終止として区切らない。舞台の小さな親切が、音楽には大きな余白を与えられる。
### 第6曲 姉妹の身支度
VivoとAndantino。商人や衣服の場面として訳されることもある。舞踏会へ出かけるための装いが、音楽の慌ただしい活動として描かれる。
短い身振りが次々に変わるため、主題の長さより、発音の性格が場面をつなぐ。似た反復があっても、同じ気分の単純な繰り返しではなく、注文、見せびらかし、満足しない反応として聴くと芝居が立つ。演奏では、速さを上げることだけで騒々しさを表現せず、強弱の切り替えと休符の位置を揃える。後の踊りの稽古へ、外側を整える音楽が続いていく。
### 第7曲 踊りの稽古
Allegretto。踊りの先生を前に、社会的な作法としてのダンスが練習される。ここでは、美しく踊ろうとする意志と、身体のぎこちなさの隔たりが笑いになる。
低い楽器の目立つ身振りと、高い木管の動きが対照をつくる。一定の拍の上に不釣り合いな重みが乗る感触、句の終わり方が落ち着かない感触を聴きたい。後に主人公が自然に歌い踊る音楽と比べると、外から教えられる作法と、内側から生まれる表現の違いが見えてくる。
演奏では、下手な踊りを表すために拍を不正確にする必要はない。共通の拍が明確なほど、そこへ置かれたアクセントの不器用さが伝わる。伴奏が安定し、前景が奇妙に動くという二層を保つ。
### 第8曲 継母と姉妹の舞踏会への出発
Vivo、Andantino、再びVivo。家族が舞踏会へ出かけ、主人公が残される。第6曲などと関連する身振りが戻ることで、準備が実際の出発へつながったとわかる。
前半の賑やかな活動と、その後に残る空間の違いが重要だ。演奏では、最後の速い音楽を強く終えることだけに集中せず、その騒々しさが消えることで、第9曲の独白が始まる条件を整える。音量の差だけでなく、音が占める密度が変わることを聴きたい。
### 第9曲 舞踏会を夢見るシンデレラ
Andante dolceを中心にAllegrettoを挟む。家族がいなくなった後、主人公の想像が動き始める。現実にはまだ家の中にいても、音楽は別の場所へ向かう。
柔らかい長い線と、踊りを思わせる動きの切り替わりが、夢想を一色にしない。悲しみのなかに、やってみたい、出かけたいという活動性が残っている。抒情的な響きを、出来事が止まった状態として聴くより、内面で可能性が育つ時間として聴きたい。
演奏では、弱い音をすべて均一にせず、旋律が未来へ伸びる瞬間と、身近な現実へ戻る瞬間を分ける。後のアモローソや、その編曲と結びつけて聴くときも、いまはまだ実現前の夢であることが、同じ種類の歌の意味を変える。
### 第10曲 ガヴォット
Allegretto。主人公が一人で踊りを試みる場面に置かれる。古い舞曲の形を借りながら、舞踏会の正式な踊りではなく、想像のなかの遊びとして機能する。箒を相手に踊る演出は、この場面のよく知られた表現の一つである。
ニ短調を足場とする輪郭に、長調への明るい開きが対照を与える。ここでの短調は、ただ沈痛という意味ではない。端正なリズムと控えめな身振りが、寂しさのなかの機知をつくる。
旋律だけを大きく歌い続けるより、拍の踏み出しと、句の終わりの小さな持ち上がりを感じたい。演奏では、古典舞曲らしい明確さと、主人公が一人で遊ぶ軽さを両立させる。重いペダルや厚いレガートだけでは、その身振りを隠してしまう。
### 第11曲 物乞いの妖精の再登場
Adagio。第5曲を思い出させることで、さきほどの出来事が偶然の挿話ではなかったとわかる。主人公の行為に対し、物語が応答する場面である。
同系の音楽が戻るとき、何が同じで、何が変わったかを聴きたい。初めは未知の存在への応対だったものが、ここでは魔法の世界への入口になる。細かな動きの連続を前面へ出しすぎず、遅い線の方向と音色の変化で、空間が広がっていく感触をつくるとよい。
### 第12曲 春の妖精のヴァリアシオン
Presto。ホ長調、8分の6拍子を足場とする、軽く跳ねる音楽である。高い木管と鍵盤の発音が明るい輪郭をつくり、その身振りが別の楽器へ受け渡される。
旋律は大きな二拍の上で動く。六つの八分音符を同じ重さで数えると、跳躍と休符の軽さが失われる。フレーズの頭だけでなく、途中のアクセントにも注意したい。一定の足取りの上で光が別の場所へ飛ぶような感触がある。
ホ長調の鮮明さの後に、別の和声領域が差し込まれる。調号が変わるたびに重い転調のドラマを演じるより、主題の軽快な性格を保ったまま、背景の光が変わると捉えられる。演奏では、速い音を均一に揃える練習と同時に、休符を含めた短い身振りを一息で歌えるようにしたい。
### 第13曲 夏の妖精の独白
Andantino sognando。春の素早い跳躍から、夢見るような長い呼吸へ移る。季節の違いが、単なる明暗でなく、時間の流れ方として表される。
旋律がゆったりしていても、背景まで止めてしまうと音楽は重くなる。細かな動きに支えられた長音を聴き、その長音が次の音へ進みたがる方向を探す。和声の色の揺らぎは、強い属和音で次々に押し進むというより、同じ空間のなかで光が変わるように働く。
演奏ではsognandoを曖昧な拍に置き換えず、共通の細分を保ちながら旋律だけを長くする。春との対比には、テンポ差だけでなく、音の立ち上がりを柔らかくし、語尾を急いで切らないことが有効である。
### 第14曲 きりぎりすと蜻蛉
Vivace con brio。春の妖精と混同されやすいが、独立した別の曲である。冒頭は4分の2拍子で、調号のない譜面に短い下降音型と半音を含む応答が現れる。第12曲のホ長調、8分の6拍子とは、出発点から異なる。
高い楽器の素早い下降と、低い側の跳ねる動きが組み合わされる。昆虫の世界を、連続した滑らかな飛翔だけでなく、停止、方向転換、突然の着地として聴ける。ここでは休符が、音と同じくらい身振りをつくる。
演奏では、すべての動きを長いレガートにまとめず、短い単位の方向を明確にする。高音のきらめきと低音の反応を同じ重さで鳴らすより、前景がどちらへ移るかを聴き手に渡す。四季の大きな変化のあいだに、小さな生き物の運動が挟まることで、魔法の自然界に縮尺の違いが生まれる。
### 第15曲 秋の妖精のヴァリアシオン
Allegro moderato。Andantinoや、より動く部分を含み、秋を一つの静かな情景にはとどめない。短い発音と揺れる身振りが、春の輪郭の明るさとも、夏の長い歌とも異なる表情をつくる。
和声は、長調の調号を見て安心できる響きだと決めると捉えにくい。臨時記号や音程の組み合わせが、足場の周囲を不安定にする。旋律と伴奏がどこで同じ方向へ動き、どこでずれるかを追うと、色彩の理由がわかる。
演奏では、軽い音を痩せた音にせず、輪郭と密度の違いを使い分ける。四季の各曲を同じ妖精の音色で統一するより、秋の落ち着かなさを一つの固有の身振りとして描きたい。
### 第16曲 冬の妖精のヴァリアシオン
Allegro moderato。変イ長調を足場とする。速い細分、短い音の粒、細かく受け渡される線が、冬の硬質な透明感をつくる。
冷たさを表現するために、旋律の方向まで断ち切る必要はない。細かな動きの上にも下にも、まとまりを持つ線がある。聴くときは、最も速く動く音だけでなく、少し長く残る音を拾うと、装飾と歌の違いがわかる。
この曲は、自作の独奏編曲やプレトニョフ編で、妖精の別場面と組み合わされるため、「冬」という題の音楽が原曲の第16曲だけを意味するとは限らない。原バレエを学ぶときは、まず独立した冬のヴァリアシオンの輪郭を覚え、その後に編曲が何を付け加えているかを聴きたい。
### 第17曲 出発の中断
Vivo。魔法の準備ができても、すぐには舞踏会へ出発しない。速い動きが期待を高めながら、重要な条件の説明へ向けて進行を留める。
この曲は、単なるつなぎとして急いで通過すると、第18曲の警告との関係が弱くなる。運動がどこへ向かい、何によって止められるかを聴くと、物語の構成が明確になる。演奏では、速度を出すことと目的地をはっきりさせることを両立させたい。走り出したエネルギーが中断されるから、警告を受け止める空間が生まれる。
### 第18曲 時計の場面
Allegro moderato。舞踏会へ行く条件として、真夜中という限界が刻み込まれる。ロ長調の調号を持つが、ここでの明るい調号は、穏やかな幸福を保証しない。高い反復の上に警告の輪郭が重なり、気持ちに従わない時間が現れる。
細かな音の持続と、より大きい音価の身振りを分けて聴く。前者をただ速い装飾、後者をただ強い旋律と考えるより、止まらない仕組みと、それを知らせる行為という関係で捉えるとよい。
ここを覚えておくと、第2幕末の真夜中で、初めての恐怖ではなく、忘れていた条件が現実になる恐怖を聴ける。演奏では、反復を感情の高まりに合わせて勝手に伸縮させず、機械的な継続性を保つ。その上に乗る警告の句だけが、人物へ語りかける。
### 第19曲 シンデレラの舞踏会への出発
Allegro espressivo。ト短調を足場とするワルツが、第1幕を大きく開いて終える。出発という希望に満ちた場面が短調の音楽を持つことからも、この作品の感情が単純な明暗の対応ではないとわかる。
歌う旋律と三拍子の推進が結びつき、憧れが身体の動きになる。低音と伴奏の和音を毎回同じように強調するより、旋律が何小節先へ向かうかを聴きたい。別の調へ移る部分も、最初の足場へ戻る部分もあり、出発の気分は一つの響きに固定されない。
第30曲の大ワルツとは別の曲である。「シンデレラのワルツ」という題だけで録音を探すと混同しやすい。ここは舞踏会へ向かう音楽、第30曲は宮廷のなかで展開する大きなワルツ、と区別しておくと、物語と曲名がつながる。
## 第2幕 全19曲を聴く
第2幕では、主人公の登場に先立ち、宮廷の社会が音楽によって形づくられる。短い舞曲の連続には、視線が集団から個人へ、個人から二人へ移っていく順序がある。[第2幕総譜](https://imslp.eu/files/imglnks/euimg/1/13/IMSLP130449-PMLP253958-Prokofiev_-_Cinderella_-_Act_II.pdf)
### 第20曲 宮廷の踊り
Andante grazioso。変ロ長調を足場とする、儀礼的で優雅な音楽である。パヴァーヌという名でも知られる。第1幕の家の騒がしさから、作法の整った公的な空間へ移ったことが、速度と身振りの違いで伝わる。
ただし、表面の整然さのなかにも、プロコフィエフらしい和声のひねりがある。旋律の端正さと、響きの変化を同時に聴きたい。演奏では、優雅さを無表情に置き換えず、拍の重心を保ちながら、句が開く方向をつくる。宮廷がどんな世界かを先に示しておくことが、後の主人公の登場の大きさを支える。
### 第21曲 パスピエ
Allegretto。ソを中心とする軽快な舞曲で、宮廷の活動を細かい身振りへ分けていく。落ち着いた第20曲とは、同じ宮廷でも身体の使い方が変わる。
音楽を細かく追うと、優雅な表面が機械的な均等さではなく、弱起やアクセントの位置で生きているとわかる。短い句の終わりに過度な間を置くと、踊りの連続が失われる。演奏では、音の軽さと拍の明確さを両立し、宮廷の人々が同じ規則のなかで動いている感触を保ちたい。
### 第22曲 騎士たちの踊り ブーレ
Allegro pesante e ben ritmato。重く、リズムを明確にという指定が、前曲との違いをはっきり示す。ト音を中心とする輪郭に、硬い拍節と集団の重みが加わる。
重い音楽だから遅く引きずる、ということにはならない。短い音の切れと、共通の拍の足取りが必要になる。和声の変化以上に、同じリズムが集団の身振りとして揃うことに注目したい。演奏では、低音を厚くするだけでなく、拍の前後にある休符や発音を正確に揃えると、重さが輪郭を持つ。
### 第23曲 やせた姉のヴァリアシオン
Allegretto。原題ではフディシュカのヴァリアシオン。もう一人の姉との対比を前提にした性格的な独舞である。人物名や日本語訳は版によって異なる。
短い音型の細い輪郭と、その先へ滑らかに収まりきらない動きを聴く。ここでの笑いは、旋律が歌えないことだけではなく、歌おうとする身振りと伴奏の関係にもある。演奏では、人物を一律に大きな音で戯画化せず、この姉固有の身軽さや尖りを、第24曲との差として示す。
### 第24曲 太った姉のヴァリアシオン
Allegretto capriccioso。原題ではクビシュカのヴァリアシオンで、自作の独奏曲では《カプリッチョ》として知られる。ニ長調を足場とするが、capricciosoの指定どおり、落ち着いた均整だけでは進まない。
前曲と並べることで、姉妹が一つの悪役の塊ではなく、違う動き方を持つ二人だとわかる。演奏では、重さの表現を音の長さや着地の仕方へ分け、全部を強打にしない。音楽の急な方向転換に対応するためにも、底にある共通の拍は明確に保ちたい。
### 第25曲 宮廷の踊りの再開
Andante grazioso。第20曲の音楽が戻る。姉妹の個人的で滑稽な独舞の後に、宮廷の作法が改めて場を整える。
同じ音楽が戻ること自体が意味を持つ。宮廷には、個々の人物が騒いでも続いていく秩序がある。その秩序の音楽を聴いた直後に、王子の登場が用意される。演奏では、単なる反復として省エネルギーで扱わず、個人の逸脱を集団の世界へ戻す役割を意識する。
### 第26曲 マズルカと王子の登場
Allegroから、複数の速度と身振りへ移る。曲名のとおり、舞曲と人物の登場が一つの場面に組み込まれている。王子が公的な世界のなかで姿を見せる音楽である。
三拍子の足取りを、ワルツと同じ重心で聴かないことが大切だ。アクセントの位置と、拍の運びが、より角のある身振りをつくる。途中の速度変更も、音楽が停滞するのではなく、視線が集団から王子へ切り替わるものとして追える。
演奏では、華やかな総奏のなかでも、いま何が場面を動かしているかを明確にする。王子の個人的な歌を描く第33曲とは役割が異なる。ここは登場という社会的な出来事、その後の独舞では内側の性格へ焦点が寄る。
### 第27曲 王子の四人の友人のヴァリアシオン
Allegro moderato。王子の周囲にいる人々の動きが、宮廷の世界に厚みを加える。中心人物だけで舞台を進めず、集団と個人の中間にある小さなまとまりを描く曲である。
動機の共有と受け渡しを聴きたい。同じ種類の身振りが揃うことで仲間の一体感が生まれ、そこに局所的な違いが加わる。演奏では、小節ごとのアクセントを足すより、短い句のまとまりがどこで完結し、どこで次の人物へ渡るかを捉えるとよい。
### 第28曲 マズルカ
Allegro ma non troppo。宮廷の集団舞踊が改めて展開する。第26曲の登場の複合場面と区別して、舞曲そのものの推進が前面に出る。
ma non troppoは、速さを出しても身振りが潰れないための重要な条件になる。音の立ち上がり、アクセント、句末の処理を聴くと、ワルツとの違いが明瞭になる。演奏では、全員が同じ拍を共有する強さと、旋律の局所的な柔軟さを両立させる。主人公到着前の宮廷が十分に動くほど、次の場面転換が鮮やかになる。
### 第29曲 シンデレラの舞踏会への到着
AllegroからAndante。主人公の到着によって、周囲の活動の見え方が変わる。単なるファンファーレの追加ではなく、速度、密度、旋律の長さが変わることで、注意の向き先が一人へ集まる。
速い導入の後に開かれる歌を、直前と同じ表面の動きのまま聴かないことが大切だ。家の中では十分な時間を与えられなかった主人公に、公的な空間が耳を傾ける瞬間として聴ける。
演奏では、到着の効果を音量だけで作らず、句の長さと響きの広さを変える。続く大ワルツとの関係も重要である。第29曲は登場による空間の変化、第30曲は、その空間のなかで始まる大きな運動を担う。
### 第30曲 大ワルツ
Allegrettoから、より動く部分や、速度を抑える部分へ展開する。作品を代表する名曲だが、幸福一色の舞踏会音楽として聴くと、特徴の半分を逃してしまう。
ホ音を中心とする響きでは、長調と短調の色が近接する。冒頭のソのシャープを含む響きと、その後のホ短調の主題の関係に耳を向けると、華やかな表面に陰りが差す仕組みがわかる。拍の輪郭が明確である一方、旋律の跳躍はなだらかに収まりきらず、大きな空間を跨ぐ。
主題が戻るたびに、同じ舞踏会へ帰ったように聞こえる。しかし、その間には、より内向きな歌や別の色の場面が置かれる。大きな公共の踊りと、二人に近い感情の時間が交替するため、ワルツ全体が一枚の豪華な絵にならない。
演奏では、低音、後続する和音、旋律を同じ重さにしない。伴奏の三拍子が整っているから、旋律はその上で大きく跳べる。跳躍の頂点をすべて最終頂点にすると、音楽が小さくなる。再現のたびに、音域、響きの厚さ、直前のエピソードとの距離を聴き分けたい。
第19曲の出発のワルツ、第49曲の遅いワルツと比較すると、三拍子が、期待、陶酔、不安、安息という異なる感情を担えることがわかる。この第30曲は、そのなかでも、華やかさと危うさが最も大きく共存する場所である。
### 第31曲 プロムナード
Allegro tranquillo。大ワルツの大きな運動から、歩行や交流を思わせる場面へ移る。「速く、しかし穏やかに」という指定は、活動性を失わずに密度を下げることを求める。
旋律がどこへ渡り、伴奏がどれほど軽くなるかを聴くと、舞踏会の焦点が変わるのがわかる。大曲の後の休憩というだけでなく、続く独舞へ耳を向け直す役割がある。演奏では、前曲の興奮を引きずりすぎず、足取りを小さく整えることで、次の人物描写を受け止める余地をつくりたい。
### 第32曲 シンデレラのヴァリアシオン
Allegro grazioso。主人公が自分自身の踊りを示す。ト長調を足場に、二拍子と三拍子の性格が組み合わされ、軽快さと歌う身振りが交替する。
第7曲の踊りの稽古と比べると、ここでは作法を外から押しつけられる感触より、内側から動きが生まれる感触が強い。宮廷に入った主人公が、自分を見失わずに踊れることを示す音楽として聴ける。
演奏では、拍子変更を単なる数え直しにせず、足取りの種類が変わると捉える。graziosoは、アクセントをすべて取り除く意味ではない。軽い発音と明確な重心があってこそ、旋律のしなやかさが伝わる。
### 第33曲 王子のヴァリアシオン
Andante con brio。速さを誇示するだけの王子像ではなく、落ち着いた歌と活力が共存する。ハ長調を中心としながら、旋律の屈折や細かな半音の動きが、単純な長音階の歌にはしない。
第26曲が公的な登場を描くのに対し、ここでは人物そのものへ視線が近づく。ハ長調という足場は、第3曲のシンデレラの穏やかな部分や、後の二人のアダージョと聴覚上の関係をつくる。二人が似た感情の場所に立てる可能性が、和声の安定感からも感じられる。
演奏では、Andanteを停滞させず、con brioを強打に置き換えない。旋律の長い方向と、その内側で動く小さな単位の両方が必要になる。主人公の多面的な第3曲と比べて、足場の保たれ方に違いがあることも聴きどころである。
### 第34曲 客たちへのもてなし
Moderato。舞踏会は、二人の恋だけで進行しているわけではない。客たちへのもてなしという行為を通じて、宮廷の社交が続く。
大きな主題の感情から、細かい動作へ視線が戻る。音楽の短い句、反復、受け渡しが、舞台上の小さな出来事を支える。演奏では、主要場面の間にあるからといって性格を薄くせず、細部の発音を明確にしたい。次の姉妹の踊りが、この社会的な場のなかでどれほど異質に見えるかを準備する曲でもある。
### 第35曲 オレンジを持つ姉妹の踊り
Allegro con brio。主人公たちの抒情と対照的に、姉妹の自己主張が公の場へ戻ってくる。オレンジという小道具を介した踊りが、身体の大げささと音楽の弾みを結びつける。
第2曲などで聴いた姉妹の身振りとの関連を探すと、人物の一貫性がわかる。同じ性格が場所を変えて現れるため、宮廷に来たことだけで内面まで変わったわけではないと音楽が知らせる。
演奏では、勢いのある複合拍子を、重い一拍ずつに分解しない。大きな拍の弾みを保ちながら、短いアクセントや割り込みを鮮明にする。続くアダージョとの落差を生かすためにも、この曲の喜劇性には十分な輪郭が必要である。
### 第36曲 シンデレラと王子の二重舞 アダージョ
Adagio。舞踏会の中心にある、二人の感情の音楽である。ハ長調を足場とし、冒頭は8分の9拍子。大きな三拍のなかに、細かな三分割がある。
旋律を見失いやすい人に、特に聴いてほしい箇所がある。初めの伴奏の後、チェロとファゴットが低い位置から主旋律を歌い始める。高いフルートや弦の反復は目立つが、それだけを追っていても、歌の本体を捉えられない。旋律の表情と、一定の伴奏の揺れが、異なる音域に分かれている。
中ほどでは6拍子へ変わり、音楽の身振りが広がる。同じハ長調の周囲にとどまっていても、和声の動く速さ、楽器の厚さ、楽句の伸びによって、感情は大きくなる。遠くへ転調しなければドラマが生まれない、という考え方を修正してくれる曲である。
ヘ長調の領域は、ハ長調に対するサブドミナントとして聴ける。中心から柔らかく外へ開き、その後のハ長調への帰還を支える。ここでは、ドミナントの強い緊張だけでなく、サブドミナント側へ広がることが、歌の豊かさを生む。
演奏では、伴奏を全員の共通の呼吸として保ち、その上の旋律に時間を与える。遅いからといって全音符を重くすると、長い線が失われる。二人の関係が生まれる場面を、孤立した旋律の美しさだけでなく、他の声部に支えられた歌として表現したい。
### 第37曲 ワルツのコーダ
Allegro espressivoからPrestoへ。感情の充実が、舞踏会全体の速い運動へ押し戻される。第19曲の出発のワルツと関連する音楽が戻り、幕をまたぐ記憶が強まる。
いったん頂点へ達したように聞こえても、この曲がバレエ全体の終わりではないことが重要だ。時間はまだ進んでおり、その進行を止めることはできない。加速や密度の増加が、祝祭の昂揚にも、限界へ近づく焦りにも聞こえる。
演奏では、速い部分を無差別に急がず、第38曲の硬い時間へ接続するための拍を残す。旋律の高揚と、時計へ向かう進行を同時に感じると、このコーダの喜びに奥行きが出る。
### 第38曲 真夜中
Allegro moderatoからModerato。第18曲で告げられた条件が現実となり、舞踏会の時間が破られる。木片の硬い刻み、高い音域の警告的な響き、低い楽器の圧力が重なる。
最大の聴きどころは、音量の大きさだけでなく、異なる時間が同時に聞こえることである。刻みは止まらず、その周囲で旋律や短い身振りが切迫して動く。人間の感情は引き延ばしたくても、時計はそれを許さない。
第18曲と比較すると、同じ時計の発想が、先の出来事を知らせる警告から、逃れられない現在へ変わることがわかる。魔法の音楽が美しいだけではなかった理由が、ここで明確になる。
演奏では、強い音をすべて同じ長さで潰さない。刻み、旋律、低音、打撃の役割を分けるほど、恐怖は具体的になる。崩壊の場面を不正確に演奏するのではなく、正確に続く仕組みの上で、人物の世界が崩れるように表現する。幕の結末には、充実から断絶への急激な変化が刻まれる。
## 第3幕 全12曲を聴く
第3幕では王子の探索が始まり、物語の移動範囲が広がる。その後、家の場面へ戻り、認識と再会を経て、長い抒情的な結末へ至る。[第3幕総譜](https://imslp.eu/files/imglnks/euimg/5/54/IMSLP130450-PMLP253958-Prokofiev_-_Cinderella_-_Act_III.pdf)
### 第39曲 王子と靴職人
Allegro scherzando。失われた相手を探すため、靴という具体的な物へ焦点が移る。恋の大きな感情が、実務的で滑稽なやり取りを通過しなければならないところに、喜劇の面白さがある。
冒頭では低いテューバの線がよく目立ち、弦のピッツィカートや短い木管の反復が、その周囲を動く。低音楽器が旋律の担い手になる例としても聴きたい。細かな刻みだけを追うと、人物の発言に相当する線を見落とす。
演奏では、低い主旋律を過度に重くせず、scherzandoの機敏さを保つ。靴職人の場面の細部をすべて音楽の固定した意味へ割り当てる必要はないが、問い、応答、期待外れというやり取りの構造は、よく聞き取れる。
### 第40曲 王子の第1のギャロップ
Presto。王子の探索が、速い移動の音楽になる。二拍子の推進、反復、低音から生まれる運動が、長い距離を短時間に駆ける感触をつくる。
途中には速度や性格を変える箇所があり、単一の疾走だけでは終わらない。探す動作と、見つかるかもしれないという期待が交替する。演奏では、速さを最初から限界まで上げず、音型の方向と、到着点の輪郭を保ちたい。同じ足取りが後に再び現れるため、ここで探索の運動の基本形を耳に刻んでおくとよい。
### 第41曲 誘惑
ModeratoとAllegrettoが交替する。王子の前に、探している相手とは別の可能性が提示される場面である。細かな演出や場所の表現は上演によって変わるが、探索の途中で立ち止まり、別の魅力に直面するという機能は曲名からも理解できる。
速いギャロップの後に、歌や異なる身振りへ耳を切り替えたい。速度が落ちたから緊張が消えるのではなく、王子が何を選ぶかという別の緊張になる。演奏では、魅力的な表面をあえて美しく示すことで、次に探索へ戻る意志が際立つ。最初から「偽物だから薄い音」と決めてしまうと、選択の意味が弱くなる。
### 第42曲 王子の第2のギャロップ
Presto。探索の運動が戻る。第40曲との関連は、王子が旅の目的を保ち続けていることを音楽で示す。
同系の音型が再び現れたときに、前曲の経験がどう聞こえ方を変えるかが重要になる。初めは広い世界へ飛び出す勢いだったものが、ここでは途中の選択を経た継続になる。演奏では、反復を機械的に同じ強度へ戻すより、前後の音色と速度の関係を整える。大きな第3幕の推進を維持する役割を持つ。
### 第43曲 東洋の踊り
Andante dolce。オリエンタリアとも呼ばれる。探索の途中に置かれる、異なる様式の歌である。変ロ音を中心とする足場と、通常の長調の導音へ強く収束しない響きが、穏やかな異質さをつくる。
この曲名の「東洋」は、当時のヨーロッパの舞台作品における異国表象として読む必要がある。ある地域の音楽を、その土地の実際の様式どおりに記録したもの、と考えるべきではない。具体的な国名や民族名を、音楽だけから断定することも避けたい。
演奏では、異国らしさを強調するために旋律を過度に崩さず、dolceの歌と伴奏の静かな持続を保つ。ギャロップの運動から離れた時間があることで、世界の広さと、王子の目的がまだ満たされていないことが同時に感じられる。
### 第44曲 王子の第3のギャロップ
Allegro marcato。三度目の探索の運動であり、前の二つとは速度の標語も異なる。marcatoの輪郭を持つ足取りが、旅の連続を締めくくる。
同じ「ギャロップ」という題でも、三曲を区別せず一つのPrestoとして扱うと、曲ごとの形が見えなくなる。反復する探索の型と、その時点の重心を聴き分けたい。演奏では、音の芯と発音を明確にし、その後のシンデレラの目覚めとの対照を準備する。外の世界の走行が終わり、視線が家の内側へ戻る。
### 第45曲 シンデレラの目覚め
Andante dolceから複数の速度へ移る。主人公は家に戻り、舞踏会の経験を確かめる。第1幕で知った音楽の身振りが戻ることで、場所だけでなく、以前の自分との関係も思い起こされる。
同じ家にいることと、何も変わっていないことは同じではない。聴き手は第2幕を経験しているため、以前と関連する旋律にも、記憶の厚みを感じる。夢だったのか、現実だったのかという揺れは、関連する素材の戻り方や速度の変化から聴ける。
演奏では、回想をすべて遠く薄い音にせず、思い出が急に鮮明になる箇所と、現実へ戻る箇所を分ける。物語上の証拠と、音楽上の記憶が、少しずつ同じ方向へ揃っていく曲である。
### 第46曲 舞踏会の翌朝
Allegretto capricciosoからModerato、Vivoへ。姉妹たちの日常の身振りが戻り、主人公の内面と、周囲の変わらなさが対照になる。
以前の姉妹の音楽と結びつく素材を聴くと、舞踏会が人物の性格を一律に変えたわけではないとわかる。同じような誇張や落ち着かなさが、翌朝の語りや動作のなかに残る。演奏では、回想場面と現在の行為の切り替えを、速度と発音の違いで明確にする。第45曲の私的な記憶に対し、こちらは外へ向けて主張される記憶として聴ける。
### 第47曲 王子の訪問
Vivaceを中心に、王子の歌を思い出させるAndante con brioや、激しい身振りが入り交じる。家の世界へ、外から王子が到着する。第1幕では主人公が外へ出ることが問題だったが、ここでは外の世界が主人公の場所へ入ってくる。
人物ごとの音楽が近接するため、曲全体を一つのテンポの勢いだけで捉えないことが重要になる。誰の身振りが前景にあるかを聴き分けると、短い場面転換が理解しやすい。
演奏では、急速な部分の合奏精度だけでなく、歌に変わる瞬間の焦点を揃える。王子の主題が現れれば、宮廷で出会った人物がいま家の中にいることが、聴覚によっても確かめられる。喜劇的な妨害と、再会へ向かう真剣さが同時に進む。
### 第48曲 王子はシンデレラを見つける
Adagio passionato。物語上の発見と、感情の再認識が重なる。Andanteなどへの変化を含み、発見の一瞬だけで終わらず、その出来事を受け止める時間が置かれる。
抒情的な線が大きくなる過程で、不協和や対旋律が消えないことに耳を向けたい。幸福な場面だから響きが直ちに単純化するのではなく、積み重なった緊張が歌のなかでほどけていく。
演奏では、すべての声部が最初から同じ頂点を目指して強くなると、発見の瞬間を早く使い切ってしまう。旋律の受け渡し、低音の変化、音域の開きによって、段階的に確信へ至るようにしたい。ここで物語の問題が解けても、音楽にはなお二つの終曲が残る。
### 第49曲 遅いワルツ
Adagio。再会した二人の時間を、変ニ長調の柔らかい足場から描く。第30曲の大ワルツと同じ三拍子の仲間でありながら、他人の視線のなかで踊る感触から、親密な呼吸へ大きく変わる。
冒頭では、高い弦に長い音があり、その下でヴィオラが動き始める。目立つ最高音をそのまま主旋律と思うと、歌の始まりを取り逃がす。持続する上声は空間を保ち、動く中声が言葉を話し始める。その後も、ファゴットや弦へ歌が渡り、音域が変わる。
主題が戻り、その間に別の運動が挟まるため、静止した安息の一枚絵ではない。速度指定の変化とともに、内側に残る高揚が表面へ出る。変ニ長調の足場に帰ることは、同じ音へ退くことではなく、別の経験を収め直すこととして聴ける。
演奏では、三拍子を過度に一小節一拍へ潰さず、かといって三つの拍を毎回同じ重さで刻まない。内声の歌の始まりと、低音の着地を共有する。音数が減るほど、どこへ息を渡すかが重要になる。
### 第50曲 アモローソ
Andante dolcissimo。恋の感情を、最も優しくという性格のなかで結ぶ。原曲のこの曲は、ホ長調の調号と響きから始まり、ハ長調の世界へ移る。「終曲はハ長調」とだけ覚えると、その前にある色の距離と、着地の過程を見落とす。
冒頭ではフルートと高い弦が長い歌を重ね、その下にヴィオラやチェロの細かな動きが続く。表面はよく動いていても、音楽の時間は広い。速い音符を主体にしてしまうと、長音同士がつくる呼吸が失われる。
ホ長調からハ長調への関係は、先に説明した三度の隔たりを持つ。色彩の変化は大きいが、関連する音や旋律の記憶が連続を保つ。終結のハ長調は、単に白鍵が多いという意味で単純なのではない。ここまでの不安や別離を経た後に、安定した響きを長く保てるようになったことが大切なのである。
最後は大きな勝利の打撃を連打する終わり方ではなく、柔らかな持続と細かな残光を残す。チェレスタの静かな動き、高低の離れた響きが、終止した後の空間を感じさせる。演奏では、主和音へ着いたから集中を解くのではなく、その和音をどれだけの密度と静けさで保つかまで聴き続けたい。
## 全曲を横断して聴くとわかること
### 三つのワルツは主人公の経験を測る
第19曲、第30曲、第49曲を続けて聴くと、作品全体の骨組みがよく見える。最初は外の世界へ向かう憧れ、次は実際にその世界へ入ったときの華やかさと危うさ、最後は再会後の親密な時間である。
この違いは、テンポの速い遅いだけでは説明できない。旋律の跳躍、伴奏の硬さ、音域の広がり、主題が戻るまでの距離、どの楽器が歌うかが変わる。三拍子という共通の器があるため、変化したものを比較しやすい。
演奏者にとっては、三曲を一律に「美しいワルツの音色」で整えないことが重要になる。同じ拍子の内側で、誰の時間なのか、誰に見られているのか、どんな制限があるのかを考えると、音の長さと重心の選び方が具体的になる。
### 反復は同じ場所へ戻るだけではない
第20曲と第25曲の宮廷の踊りは、社会の秩序を保つ反復である。第40曲、第42曲、第44曲のギャロップは、探索の目的を保つ反復である。第18曲と第38曲の時計は、警告が実現する反復である。第1幕の素材が第45曲以降に戻るときは、記憶を確かめる反復になる。
反復の意味を区別すると、音楽を物語に合わせるとは、すべての音へ具体的な動作名を書き込むことではないとわかる。同じ音楽が戻っただけで、聴き手の経験が前後を結びつける。作曲家は、聴衆の記憶そのものをドラマの一部として使っている。
### 衣装と本質の違いを音楽が示す
主人公の外見は魔法で大きく変わる。しかし、聴き手が親しんだ歌は、変身以前から存在している。姉妹たちは衣装や作法を整えることへ大きなエネルギーを使うが、関連する音楽の身振りは場所を変えても残る。
ここに、作品の社会的な読みを支える具体的な仕組みがある。誰が宮廷にふさわしい服を着ているかと、誰が自分の内側から歌えるかは一致しない。音楽は外見を描くだけでなく、外見が変わっても続くものを聴かせる。
ただし、これを登場人物の身体的な特徴と価値の単純な対応として固定する必要はない。姉妹の喜劇性の見せ方は、現代の振付で大きく変わりうる。総譜にある身振りの誇張を聴くことと、それを現代の人間の外見への評価へ置き換えることは別である。
### 終幕が長い理由
物語だけを追えば、第48曲で王子が主人公を見つけた時点で、問題は解決する。それでも第49曲と第50曲が続く。この余白は、結婚という出来事を報告するためだけには必要ない長さである。
その時間によって、音楽は「見つかった」という事実から、「一緒にいられる」という状態へ移る。急いで探す運動も、時計に追われる切迫も後景へ退き、長い旋律を保つこと自体が結末になる。
演奏では、この二曲を付録のように扱わないことが大切だ。終幕で必要なのは、最後だから大きくするという一方向の設計より、出来事を解決した後に、どの程度の静けさと持続を聴衆へ渡せるかという設計である。
## メロディーを見失わないための聴き方と練習
### いちばん高い音と主旋律を分ける
この作品では、高音が光をつくり、その下で旋律が進むことが多い。第36曲ではチェロとファゴット、第49曲では冒頭のヴィオラが、その具体例になる。
主旋律を探すときは、音の高さや音数より、まとまった発言をしているかを見る。始まり、方向転換、長音、終わりがあり、次の句へ意味を渡す線が、旋律の有力な候補である。反対に、同じ形を周期的に繰り返す線は、目立っていても伴奏や背景であることが多い。
もっとも、反復する動機が主役になる場面もある。時計では、まさにその反復が出来事を支配する。したがって、主旋律という言葉だけで全場面を説明せず、その瞬間に聴き手の注意を導くものは何か、と問い直すとよい。
### 低音を先に覚える
和声がわからなくなったときは、上の音を増やして読むより、低音だけを追うほうが早い。低音が同じ音を保つのか、属音から主音へ進むのか、半音でずれるのかを確認する。その上で、旋律の到着点を重ねる。
この二本だけで大きな方向が見えたら、内声の臨時記号を加える。すると、和声の骨格を変える音と、骨格の上を通る音を区別しやすくなる。複雑な響きが全部同じ難しさで立ちはだかる状態を避けられる。
練習では、低音と旋律だけをゆっくり弾き、途中の音を省いても楽句がどこへ進むかを説明できるか試す。これは原曲の音を勝手に省いて演奏するためではなく、全部の音を戻したときに優先順位を保つための作業である。
### 和音名より先に到着点を決める
和声分析を演奏に生かすには、「ここはG7」と書くだけでは足りない。そのG7がすぐ帰るのか、先延ばしするのか、普通とは違う構成音を持つのか、旋律が帰着を認めるのかを考える必要がある。
一つの句のなかで、最も大切な到着点を決めてから弾く。途中の和音をすべて同じ強さで確定させず、目的地へ向かう度合いを変える。プロコフィエフの色彩的な和声は、その音自体の魅力が強いだけに、各和音で立ち止まる誘惑がある。長い線の目的地を保つことが、色彩を音楽の時間へ変える。
### 主題の受け渡しを練習する
管弦楽では、前の楽器が長音を保つ間に、次の楽器が句を始めることがある。二台ピアノや独奏編曲でも、声部の受け渡しという考え方は役に立つ。
各自の手だけ、各自のパートだけを完成させる前に、作品全体の旋律を一つにつなげて歌う。受け取る側は、前の句の語尾を聴いてから始める。渡す側は、自分の音が終わった瞬間に集中を解かず、次の句がどこへ進むかを聴く。音を出していない時間も、歌の連続に参加することになる。
### ペダルと残響を音色の役割で決める
ピアノでこの作品を弾く場合、魔法の場面をすべて深いペダルにすると、細かな音色の違いが失われる。原曲では、短い鍵盤の音、弦の持続、低い管の歌など、発音と減衰の異なる楽器が重なっている。
その違いを踏まえ、持続させるもの、輪郭を残すもの、次の和声へ持ち込まないものを分けたい。半音で色が変わる場所では、古い響きを残す量が表情を左右する。一律の薄いペダルでも一律の厚いペダルでもなく、声部の役割に応じた残響が必要になる。
## 全曲版と組曲と編曲を区別する
原バレエの作品87と、作曲者自身が作った演奏会用の管弦楽組曲は同じ曲順ではない。管弦楽組曲には第1番作品107、第2番作品108、第3番作品109がある。また、自作の独奏ピアノ曲集には《3つの小品》作品95、《10の小品》作品97、《6つの小品》作品102がある。[出版社作品目録の関連作品一覧](https://www.boosey.com/downloads/prokofjew_werkverzeichnis.pdf)
独奏版は、単にすべての管弦楽パートを二本の手へ詰め込んだものではない。別の場面を組み合わせたり、ピアノで成立するように音域、伴奏、導入を変えたりする。キムの研究は、こうした自作編曲とバレエの対応を詳しく比較している。ピアノ版の小節番号や、そこにだけある書法を、確認なしに原曲へ戻して説明することは避けたい。[Kim 2019](https://open.bu.edu/server/api/core/bitstreams/2188b156-bd0d-48ed-a82a-b827e2fd531c/content)
さらに、ミハイル・プレトニョフによる二台ピアノの組曲は、後代の別の編曲である。原バレエ、自作の管弦楽組曲、自作の独奏版、プレトニョフ編という四つの層を区別すると、同じ題の曲を聴いたときに、内容が違う理由を整理できる。
振付にも複数の系統がある。1948年に初演されたフレデリック・アシュトン版や、物語を映画の世界へ移したルドルフ・ヌレエフ版など、同じ音楽が異なる舞台像を与えられてきた。舞台上の動きのすべてを、作曲者が最初から指定した唯一の物語と考えないことが大切である。[Royal Ballet and Operaの解説](https://www.rbo.org.uk/ballet-essentials-cinderella)、[ヌレエフ財団の作品記録](https://nureyev.org/discover-nureyev/the-nureyev-database/works/cinderella-nureyev/)
## 初めて聴くときに押さえたい五つの場面
全曲を一度で細部まで覚える必要はない。まず第1曲で、主人公の内面が舞台に先立って示されることを聴く。次に第18曲で、時計の反復と警告の関係を耳に残す。
第30曲では、大ワルツの美しさのなかに、長短の色の揺れと落ち着かない跳躍があることを聴く。第36曲では、高音の伴奏の下で、低い楽器が歌い始めることを確かめる。最後に第49曲と第50曲で、探す運動が終わった後、長い歌を保つ時間が与えられることを味わう。
もう一度聴くときは、第18曲と第38曲、第19曲と第37曲、第3曲と第45曲のように、離れた場面を組にするとよい。作品の大きさは、曲数の多さだけにない。前に聴いた音楽が、後の経験によって違って聞こえる。その変化を知ることが、全曲を聴く喜びになる。
## よくある疑問
### 有名なシンデレラのワルツはどの曲か
録音や編曲の題名によって指す範囲が異なる。原バレエでは、第19曲《シンデレラの舞踏会への出発》、第30曲《大ワルツ》、第49曲《遅いワルツ》が、それぞれ別の重要なワルツである。第37曲《ワルツのコーダ》も独立した番号を持つ。曲名だけで同定せず、原曲の番号や作品番号を確認したい。
### 短調のワルツは悲しい曲なのか
短調は感情を決める一つの条件だが、唯一の条件ではない。テンポ、拍の弾み、旋律の上行、音域、楽器の明るさによって、短調でも強い期待や高揚を表せる。《シンデレラ》では、喜びのなかに不安があり、静けさのなかに活動性がある。その複数の感情が同時に聞こえることが重要である。
### 不協和音が多いので無調の音楽なのか
主要な場面には明確な中心音や調性があり、不協和音の多さだけを理由に無調とは呼べない。主音の持続、属音から主音への低音、繰り返し戻る主題、終止の位置が、複雑な表面の下で方向を支える。まず足場を探し、その上で何がずれているかを聴くほうが理解しやすい。
### シンデレラと王子のアダージョとアモローソは同じ曲か
別の曲である。第36曲は第2幕の二重舞であり、ハ長調を中心とする複合拍子の音楽。第50曲のアモローソは第3幕の終曲で、長い歌と細かな弦の動きを重ね、ホ長調からハ長調へ向かう。どちらも愛の音楽だが、物語上の位置、主題、拍子、音色の設計が異なる。
### なぜ二台ピアノで聴くと印象が変わるのか
管弦楽では楽器の音色が自然に分けていた層を、二台ピアノでは音域、発音、音の長さ、強弱、受け渡しで示す必要がある。また、編曲者が原曲の場面を選び、並べ替えることによって、物語の時間そのものも変わる。原曲の楽器の役割を知ることは、ピアノで音色を想像し、旋律を浮かび上がらせる手がかりになる。
## 参照資料と読み方
曲番号、旋律の配置、拍子、主要な調性の確認には、全曲総譜を用いた。第1幕の第1曲・第3曲・第12曲・第14曲・第18曲・第19曲、第2幕の第30曲・第33曲・第36曲・第38曲、第3幕の第39曲・第49曲・第50曲などは、本文の横断的な説明の中心となる箇所である。本稿は全50曲の構成と主要な書法を扱う解説であり、各小節のすべての和音へローマ数字を付した逐次分析ではない。
人物の気持ちと音楽構造を結びつける記述には、聴き方としての解釈を含む。調性や音色だけから、作曲者の政治的意図、個人的な恋愛、舞台上の細かな動作を断定してはいない。引用に頼らず説明するため、作曲者の発言も基本的に要旨として紹介した。
- Sergei Prokofiev, *Cinderella*, Op.87, 全曲総譜。[IMSLP掲載ページ](https://imslp.org/wiki/Cinderella,_Op.87_(Prokofiev,_Sergey))。参照箇所は各幕の解説に記した。
- Boosey & Hawkes/Sikorski, *Serge Prokofieff Work List*。[作品目録](https://www.boosey.com/downloads/prokofjew_werkverzeichnis.pdf)。作品87と関連作品の基本情報。
- Carolyn Zoe Brouthers, *Prokofiev’s Romeo & Juliet and Cinderella: A Comparison of Leads*, Bowling Green State University, 2011。[大学公開記録](https://etd.ohiolink.edu/acprod/odb_etd/etd/r/1501/10?clear=10&p10_accession_num=bgsu1308069446)。特に第3章、47–91頁。
- Choah Kim, *The Choreographic Character Piece for Piano Solo “Cinderella” by Sergei Prokofiev: Comparative Study between Ballet and Piano Transcriptions*, Boston University, 2019。[学位論文](https://open.bu.edu/server/api/core/bitstreams/2188b156-bd0d-48ed-a82a-b827e2fd531c/content)。自作独奏編曲と原バレエの相違を確認するために参照。
- Simon Morrison, “Prokofiev: Reflections on an Anniversary, And a Plea for a New Critical Edition,” ИМТИ, No.16, 2017。[論文](https://imti.sias.ru/upload/iblock/1e2/imti_2017_16_1_20_morrison1.pdf)。特に9–10頁の初演と改変をめぐる議論。
- Mariinsky Theatre, 作品解説。[公開プログラム](https://prim.mariinsky.ru/en/playbill/playbill/2016/7/31/1_2100/)。委嘱、戦時中の経緯、1946年上演。
- Pittsburgh Ballet Theatre, *Cinderella Audience Guide*, 2013。[教育資料](https://www.pbt.org/wp-content/uploads/2016/10/Cinderella-Audience-Guide-2013-FINAL.pdf)。作曲者の発言の紹介を参照。掲載上演の曲順は原曲全50曲の曲順とは異なる。
- Chandos, CHAN 10077, 解説冊子。[冊子](https://www.chandos.net/chanimages/Booklets/CH10077.pdf)。古典バレエとの関係についての作曲者の説明。
- Royal Ballet and Opera, *Ballet Essentials Cinderella*。[解説](https://www.rbo.org.uk/ballet-essentials-cinderella)。アシュトン版の情報を参照。
- Rudolf Nureyev Foundation, *Cinderella Nureyev*。[作品記録](https://nureyev.org/discover-nureyev/the-nureyev-database/works/cinderella-nureyev/)。映画の世界への読み替えと上演記録。


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